当山のご案内
静寂な中に---、
歴史の重みを秘めて。
沿革
当山弥勒寺の草創は、今からおよそ千四百年ほど昔、白鳳五年(7世紀)に、修験道の開祖と仰がれる役の行者が、天下泰平と五穀豊穣を祈って、一宇の草堂を建立したのが始まりとされ、また、弘仁年間(9世紀)に、弘法大師が、奥州ご巡錫の折、当山で弥勒尊の大法を修したとも伝えてれております。
平泉の藤原氏との関係も深く、三代秀衡公が、亡父基衡公追善のため、四十八坊を造営し、藤原氏の祈願所としたとも伝えられ、今日でも、二代基衡公の位牌をお祀りしております。
その後、葛西・大崎両氏により、二十四坊が再興され、当山を菩提寺としたとも伝えられますが、その各坊も、天正年間(16世紀)、葛西・大崎一揆の際、二度にわたる戦火で、焼失、それを伊達家により再興、さらに、寛永年間(17世紀)、中興第一世快宥和上によって、中興されたと伝えられる古刹寺院であります。
平泉の藤原氏との関係も深く、三代秀衡公が、亡父基衡公追善のため、四十八坊を造営し、藤原氏の祈願所としたとも伝えられ、今日でも、二代基衡公の位牌をお祀りしております。
その後、葛西・大崎両氏により、二十四坊が再興され、当山を菩提寺としたとも伝えられますが、その各坊も、天正年間(16世紀)、葛西・大崎一揆の際、二度にわたる戦火で、焼失、それを伊達家により再興、さらに、寛永年間(17世紀)、中興第一世快宥和上によって、中興されたと伝えられる古刹寺院であります。
現在、有する御堂は、本堂、奥の院、不動堂、御影堂、千体地蔵堂、十王堂、山王堂、宝珠堂、鐘楼堂、山門(仁王門)の十堂です。仏様も数多く、鎌倉時代、仏師春日の作と伝えられる「御本尊彌勒佛坐像(宮城県重要文化財)」、その夾侍で、運慶・湛慶の作と伝えられる迦葉尊者・阿難尊者を始め、不動明王、大日如来、地蔵菩薩、薬師如来、秘仏歓喜天(お聖天)、毘沙門天、閻魔大王、山王権現、千手観音、弁才天、倶利迦羅龍王、弘法大師、興教大師など多くの仏様がお祀りされており、また、榧、銀杏、杉、山桜、樫、桧、松、どうだんつつじなどの古木に囲まれ、宝珠、板碑なども保存されております。
当山は、古来より、「北上川の弥勒尊」として、最上川、相模川の弥勒尊と共に、「日本三弥勒尊の一つ」、あるいは、藤原秀衡公の深い高野山信仰の関わりから、「奥州の高野山」とも称されており、また、「奥の細道三十三霊場・第十番札所」、「陸中国十三仏・第六番札所」になっております。
当山弥勒寺はおよそ千四百年の法灯を受け継ぎ、真言宗智山派に属し、心の道場、心のよりどころとして、密法を今日に伝えています。
当山は、古来より、「北上川の弥勒尊」として、最上川、相模川の弥勒尊と共に、「日本三弥勒尊の一つ」、あるいは、藤原秀衡公の深い高野山信仰の関わりから、「奥州の高野山」とも称されており、また、「奥の細道三十三霊場・第十番札所」、「陸中国十三仏・第六番札所」になっております。
当山弥勒寺はおよそ千四百年の法灯を受け継ぎ、真言宗智山派に属し、心の道場、心のよりどころとして、密法を今日に伝えています。
当山の概要
名称 | 長徳山 歓喜院 彌勒寺 |
住所 | 〒987-0602 宮城県登米市中田町上沼字弥勒寺寺山63 |
電話 | 0220-34-6763 |
FAX | 0220-34-7528 |
宗派 | 真言宗 智山派(真言宗智山派ホームページ) |
地図
弥勒寺までの交通のご案内(車の場合)
- 三陸道(仙台方面より) 登米I.Cから10分
- 三陸道(気仙沼方面より)三滝堂I.Cから15分
- 東北新幹線くりこま高原駅から30分
- 東北新幹線古川駅から1時間
- JR東北本線石越駅から20分
- 東北道 古川I.Cから1時間
- 東北道 若柳金成I.Cから30分